ヨーガとヴェーダーンタ ヨーガの宇宙観とそのゴール
「ヨガ」と「ヨーガ」という言い方がありますが、サンスクリット語では「おー」が長母音なので、「ヨーガ」と発音します。これは私見ですが、「ヨガ」はアメリカ読みなかと思っています。また、日本語としても「お」は短い母音なので、「ヨガ」という言い方が多いのかなと思います。
ここではヴェーダーンタのお話をしていくので、サンスクリット語の読み方、「ヨーガ」を使いたいと思います。
ヨーガは「繋がる」という意味の「ユジ」を語源としています。つまり「統合」という名詞が生まれていますが、聖典の中では、ヨーガを「無知が除かれて知識が現れること」「解消、解決」といった専門的な意味で使います。
ヨーガのゴールは、モークシャと呼ばれる人間としての自由です。
普段クラスで行っている(アーサナ)ヨーガの練習中、体や呼吸や考えを客観的に観ている自分、日常の役割に振り回されてはいない私を発見していることに気がついている方もいらっしゃると思います。考えと私が識別され、考えと私の間に、ゆとりが生まれてくることでしょう。
ヨーガはサーダナ(道具)です。道具を使うからには、サーダナ・サーッデャ・サンバンダ(道具と目的の関係)がはっきり知られていなければなりません。ヨーガの目的は、聖典の結論、つまり、ヴェーダーンタの宇宙観が理解できる成熟した考えの準備です。そして、ヴェーダーンタもまた、道具なのです。ヨーガによって準備できた考え、つまり、成熟した考えだけに働ききることのできる言葉がヴェーダーンタなのです。ヨーガによって、ある程度、整理整頓されたきれいな考えに、ヴェーダーンタの言葉が働いて、私についての無知を落とし、「私はイーシュワラ」の宇宙観が知性に宿ります。「私は安全ではない」「私は喜びではない」という結論からの自由、モークシャが完成します。こうして、ヨーガも、ヴェーダーンも道具であり、目的、つまり、ゴールは、モークシャと呼ばれる人間としての自由なのです。
その聖典の結論の宇宙観、「私はイーシュワラ」という宇宙観は信じなければならない話題ではありません。ヨーガとヴェーダーンタの2つの道具を使って理解することのできる知識です。そして、その知識を得た考えには、出会いや別れ、成功や失敗など、山あり谷ありの移り変わる日常の中に、変わらない存在意識が私であると知られていて、私はシャーンティなのです。
どのようなものを求めているときも人はモークシャを求めています。求める私からの自由、私は足りていないという感覚からの自由を求めています。その自由を求める生き方がヨーガで、ヨーガにたくさんの種類があるわけではありません。しかし、聖典はまた、ひとつのヨーガのいろいろな側面を強調するために、ヨーガという言葉を分けて使うことがあります。
カルマ・ヨーガ、ジニャーナ・ヨーガ、デャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガです。そして、固有名詞としてアシュターンガ・ヨーガ、ハタ・ヨーガがあります。
今回は、アシュターンガ・ヨーガとクラスで行っているアーサナ・ヨーガとヴェーダーンタの繋がりについてお話をしたいので、カルマ・ヨーガ、ジニャーナ・ヨーガ、デャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガについてはまた次の機会にお話したいと思います。
●アシュターンガ・ヨーガ
聖者パタンジャリによって編纂され、サーダナ(道具)としてのヨーガの役割をわかりやすく教えたヨーガスートラは、考えの私が瞑想の資質を得てサマーディに至るまでを8つの側面に分けて教えていて、アシュターンガ・ヨーガ(八支則のヨーガ)と呼ばれています。アシュタとは「8」で、アーンガは「手足、枝葉、補助するもの」という意味です。カイヴァルヤ(モークシャ)と呼ばれる人のゴールを目的として、人の考えの成熟を示した8つの側面です。8つの側面で示される資質を得た考えが補助となって、つまり、道具となって、サマーディの完成、つまり、ヨーガのゴールであるカイヴァルヤを得ることがほのめかされています。アシュターンガ・ヨーガ自体には、ヴェーダーンタの教えは含まれてはいません。ヴェーダーンタの言葉が働く考えの準備、つまりヨーガの役割に特化した教えがアシュターンガ・ヨーガです。
以下、1~8にその概要をお話します。
■最初の2つは、ヤマとニヤマと呼ばれ、そのあとの6つの側面を支える基本的な鍛錬で、ヨーガスートラでは、2つをあわせて、クリヤー・ヨーガと呼びます。クリヤーは、カルマ(行ない)と同義語で、カルマ・ヨーガと同じく、イーシュワラの理解からダルマに沿った行ないを練習するヨーガのことを言います。イーシュワラの理解が目的ですから、単に道徳的に良い人になるための練習ではありません。
1 ヤマ(避けるべきことをほのめかした5つ)
・アヒムサー(傷つけない、非暴力)--- 考え、言葉、体を使った行いで、人や自然を傷つけない練習。
・サッテャ(正直であること)--- 人や自然を傷つけないように、いつも考えと言葉に一貫性を持つ練習。
・アステーヤ(盗まないこと)--- 他の人に所属するものを欲しがったり、奪ったりしない練習。
・ブラフマチャーリヤ(禁欲の誓い)--- イーシュワラと先生と聖典の3つに没頭する生活がブラフマーチャーリヤで、そのために、快楽にふけることを制御する練習。
・アパリッグラハ(貪欲さのないこと)--- どんなに所有しても、「私は足りない」という自分自身の結論から人は貪欲になりがち。その自分の根っこの問題を注意深く見て貪欲に陥らない練習。
2 ニヤマ(追求すべきことをほのめかした5つ)
・シャウチャ(清らかさ)--- 考え、体、環境を清らかに保つ練習。サントーシャ(知足) 最低必要なものを持つシンプルな満ち足りた生活を楽しめる練習。
・タパス(修練)--- 寒い暑い、勝ち負け、出会いと別れなど、どんな人にも避けようのない人生の二極に、客観的な理解を持って耐える練習。断食や一定期間沈黙を続けるマウナムなどの鍛錬。
・スヴァーデャーヤ(聖典の勉強)--- 継続的な聖典の勉強。
・イーシュワラ・プラニダーナ(イーシュワラへの献身・理解・熟考)--- ダルマの法則、イーシュワラに行ないを捧げていて、イーシュワラから行ないの結果を受けとっている事実の理解とその態度の練習(カルマ・ヨーガ)。また、この理解と熟考によって考えの私は聖典の宇宙観に解決する。(サマーディ)。
■次の3つは、そのあとの瞑想に必要な考えを整える鍛錬。
3 アーサナ (座る姿勢)
真っ直ぐしっかりと、しかも心地よく座り続けられる姿勢の練習。この姿勢の完成が瞑想に没頭するために大切。
4 プラーナーヤーマ(呼吸の統制)
考えを瞑想に向ける技術としての呼吸法の練習。呼吸は考えの状態と密接に結ばれており、一定のリズムで心地よく呼気と吸気とその間を保つ呼吸法が考えに瞑想の準備を整える。
5 プラッテャーハーラ(感覚器官の統制)
外の世界の好みのものを追いかげる習性のある感覚器官を自分自身に引き戻す練習。求めるに値する価値の見極め、ヴィヴェーカがあることが自然な統制を可能にする。
■最後の3つは、サムヤマハとも言われる、瞑想の深まりの段階の3つ。
6 ダーラナ (瞑想の対象を考えに保つ)
考えに瞑想の対象を持ち込んで保つ練習。デャーナ・ヨーガの解説で見たように、瞑想の対象は、聖典の宇宙観で、ウパーサナからニディデャーサナまで、大きく2つのレヴェルがある。
7 デャーナ (瞑想の対象に考えを集中)
瞑想の対象に考えをどんどんフォーカスさせて、一定時間それを続ける練習。考えが日常にそれても、再度、瞑想の対象を引き戻し続ける。
8 サマーディ (考えの私の解決)
瞑想の対象の中に、瞑想者である私が解決する体験。
●ハタ・ヨーガ
姿勢、アーサナや呼吸法、プラーナーヤーマなどの体の側面から、デャーナ、さらにサマーディを得る考えの準備の方法として、修行者スヴァートマーラーマが教えた思想や鍛錬方法で、彼が「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」と呼ばれる教本を編纂しています。ハタはこの宇宙を支える力の意味で、「ハ」と「タ」という音をそれぞれ太陽と月を示す音シンボルとしていて、世界や体に現れているその2つの秩序をもたらすヨーガだといいます。身体的な側面からのアプローチで、独特の修行法が数多く紹介されています。そのひとつは、近年になってヨーガが世界的な流行となったきっかけである様々な姿勢、アーサナやプラーナーヤーマの特殊なテクニックやダウティ、ネーティなどの体の浄化法や、さらに、クンダリーニと呼ばれるエネルギーを覚醒させるといった独特の鍛錬方法に特徴があります。ハタ・ヨーガを練習することで、瞑想の完成を目指すラージャ・ヨーガの段階に至り、サマーディ、さらにはモークシャを得ると述べています。ハタ・ヨーガ自体の役割は、モークシャの間接的な道具であって、ヴェーダーンタの言葉がプラマーナとして働くための考えを準備することはあります。しかし、そのことが教本には教えられてなく、ハタ・ヨーガだけをベースに教えるヨーガの先生方の中には、その鍛錬自体が人をモークシャに導くと説く先生方がいます。いつの時代にもあることで、まさに、聖者シャンカラの時代もその誤解が広まったので、アーサナや呼吸法、そして、体や考えの浄化法、瞑想といった行いでかなうゴールと、ヴェーダーンタ聖典の言葉が働いて、無知が除かれ知識が宿ることでかなうゴールの違いをシャンカラが教えました。モークシャのための間接的な道具である行いの役割と、直接の道具である知識の違いを理解することが大切となります。
ヨーガとヴェーダーンタの関係がおわかりいただけたでしょうか。
シャヴァーサナで得られる心地のよさは、日常の役割から解き放たれてベーシック パーソンに引き下がる貴重な体験です。様々な感情・気分に振り回されず、外側のものを外賀に保つ、すき間を作る、それはヴェーダーンタの教えの中にあります。ヴェーダーンタの学びによって、それが日常生活の中でもできたらいいなと思います。
そんなことを考えながら、アーサナ・ヨーガと向き合っていただくのもいいかなと思います。
参考資料:冊子 「ヨーガって何?」ヨーガの宇宙観とそのゴールの紹介 / パラヴィデャーケンドラム発行
0コメント